渡辺邦夫ブログ

医療法人もみの木会 わたなべ整形外科 院長 渡辺邦夫のブログ

8月5日から12日まで夏休みをいただいて、学生時代バックパッカーで訪問して以来40年振りのイタリアへ、妻と2人で行って来ました。

今回はローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアに絞り込んで旅行しましたが、街の光景は40年前とあまり変わっていないという印象でした。これは、街の歴史的建造物を保存し、世界中から観光客を呼び込もうというイタリア政府の政策と大いに関係してのものでしょうが、いずれにせよ日本であれば破壊し撤去してしまいそうな、紀元前から続くローマの遺跡の数々が、街の中心部のいたるところに、ちょっと見ると本当に残骸としか見えないような水道橋の極々一部まで大切に保存されており、不思議な感動を覚えました。

学生時代にも感じたことですが、何か街全体が博物館になっているような感じでした。料理はどこへ行っても美味しいと思ったら大間違い。よく調べて、最終的には現地の人間から最新情報を入手した方がいいと思います。値段ばかり高くて、かなりひどい店もありました。また、ブランドショップはどこへ行っても中国人に占領されており、彼ら特有の甲高い声で機関銃のように、ツバを飛ばして、ほとんど叫ぶような会話をしていたのが印象的でした。そして皆一様に、本当にお金を持っているの?と疑いたくなるような、センスの悪い、貧しそうな身なりをしており、店員に対して上から目線で様々な要求を突きつけている様は、端から見ていてとても不快でした。

しかし、かつて日本経済が絶好調だった頃、日本女性たちがパリのブランドショップに押し寄せ、分不相応な高級品を買いあさり、○○・××・△△と三拍子そろった中年男性達はカメラを首からぶら下げ買春に走り、世界中からひんしゅくを買っていた事が思い出され、複雑な気持ちになりました。いずれにせよ私の妻は今回の旅行を通じ、中国人に対する評価を大きく下げたようです。

それはともかく、今回訪問した3ヶ所の街はいずれ劣らぬ素晴らしさで、街全体がすべて芸術品の様相を呈しており、学生時代に体験した感動が再び蘇って来るのを覚え、かつてヨーロッパに君臨した大ローマ帝国のパワーを、街のいたるところで感じさせられました。広大な植民地から収奪した莫大な富とおびただしい数の奴隷たちによりインフラの整備を進め、すべての日常の雑事から解放された人々により様々な芸術が開花したと邪推されますが、バチカン博物館やウフィツィ美術館、etc、その圧倒的な芸術品の数々は圧巻です。パリのルーブル美術館、マドリッドのプラド美術館、ロンドンの大英博物館、ナショナルギャラリーなどと比べられるとかなり見劣りしてしまいますが、十分楽しめるレベルでした。

「ローマ人の物語」の著者として有名な塩野七生さんは、イタリアに惹かれ永住権まで取得しているが、地元の人達の、本当に人生を楽しんで豊かな日常を過ごしている姿を見るにつけ、さもありなんと感じました。また、いつも海外を旅行して感じることですが、世界中いたるところに日本女性がたくましく生活しており、この3ヶ所の街でも例外ではなく、彼らがイタリアでの生活を謳歌し、日本では得られなかった人生の楽しみ方を知り、ここで骨を埋めたいと話していたのが印象的でした。

どの街も中心部の道路は狭く複雑に入り組んでおり、4~5階建に統一された石造りの建物が密集しているためランドマークが見つけにくく、すぐ迷子になってしまいそうですが、道に迷った末、急に開けた広場には必ずと言っていい程、小洒落たテラス席を併設したレストランが営業しており、そこで地元の人達がごく自然に食事をし、酒を飲み、仲間と楽しそうに語らっている様は、傍から見ていても楽しいものでした。

暑い盛りでもエアコンの効いた室内より外のテラス席を選ぶ感覚は、フランスなどでもごく普通のことであり自分的には大いに共感できるところですが、これも日本と比べ湿度が20%近くも低いお国柄ならではという事かも知れません。
最近東京でも港区を中心にオープンテラスを備えた、お洒落で快適なカフェやレストランが増えて来ましたが、とてもいい傾向だと思うし、このトレンドがいい形で定着して欲しいと願わずにはいられません。

また、せっかく本場イタリアに来たのだからという事で、日本ではとても高いプライスの付いているジーンズのJACOB COHËNや家具のPoltrona Frauの店にでも行ってみようかと思い、現地の人間に何人か聞いてみましたが、HISの現地スタッフも含め誰もこのブランドを知らなかったのにはちょっと驚きました。まさかブランド好きの日本人御用達で、主に日本向けに作られている訳でもないと思いますが、どうも聞く相手を間違えたようです。

今回訪問した3都市では、雑誌LEONに登場するような粋なイタリア人には、ミラノと違いあまり遭遇しませんでしたが、皆一様に陽気でフレンドリーだったのは40年前と少しも変わっておらず、このイタリア人気質はとても貴重だし、これからもずっと続くんだろうなと感じました。

毎年7月から10月の間にわたなべ整形外科のスタッフは、交代で夏休みを取ります。平成元年の開業以来、当院はお盆休みなしで通常通りの診療を行っている関係で、スタッフの夏休みは8月に集中することなく、適度に分散して取られています。私と福先生も毎年この時期、1週間ずつ夏休みを取らせていただいております。医療機関によっては、ドクター休診の際、研修会出席の為とか学会出張の為とか、色々苦しい言い訳をしている施設もありますが、当院では私の方針で、患者さんに正直にお伝えし、休みをいただいております。

さて我々が交代で夏休みを取る際は、毎年東京の慶応義塾大学から代診のドクターを招聘しております。この際どんなドクターが来てもいいという訳には行きません。当院に通院されている患者さんはドクターを見る目が肥えているので、ただ医師免許を持っているというだけでは当院の代診は務まりません。医療水準の高い優秀なドクターという事は大前提、さらに重要な資質はハートフルで優しく、患者さんの訴えに根気よく耳を傾け、丁寧に説明をしてくれる親切なお医者さんということです。こういう厳しい条件をクリアした若き医師たちが、今年も我々の代診を務めてくれましたが、患者さんからはかなりの高評価をいただけたようです。またドクターの選考基準には、特に容姿端麗という項目は設けていないのですが、時にはかなりなイケメンの先生が来ることもあり、患者さんだけでなく当院スタッフ達からも、今年はどんな先生が来るのかなあと熱い期待が寄せられているようです。

患者さんの中には、「なんだ、今日は院長いないのか」などと言って、リハビリもせずに帰ってしまう方もいらっしゃいますが、私としてはかなり苦労して選抜した、選りすぐりのドクター達をお呼びしておりますので、いつもと違った視点から自分の患っている疾患を診てもらえるラッキーチャンスとして捉え、今後はもっと積極的に代診のドクターの診察を受けていただければ幸いです。

また毎週土曜日には、リウマチ内科、循環器内科、手の外科、膝の外科など、それぞれ学会のシンポジストとして活躍されているレベルのドクター達を当院にお招きし、患者さんの診察をしていただいておりますが、これは足利市民として大きな幸せであり、皆さんにはもっと積極的にこの機会を活用していただきたいと思います。この際、彼らとの情報交換を通じて最先端の医療を肌で感じ、学習する機会が得られることは、地方都市に住む一開業医として、個人的にとても大きな刺激であり、喜びでもあると考え、この幸せを噛みしめ日々感謝しております。

最近、晩年の父の姿がよく浮かんでくるが、彼の最終章に立ち会った一人の医師として、息子として、反省することが多い。

あれ程の積極的な治療をせず、自宅で大往生の道が選択できなかったものかと考える。その時は父のために最善の選択をしたつもりでも、今冷静に検証してみると、父には辛い思いばかりさせてしまったような気がしてならない。子供や孫達に、自分のこれまでの人生で得た様々な経験や知恵や知識をゆっくり伝える時間もなく、仏門に入ってしまった。

人生の最終章を迎えた父を看ていて、ある知人がいつも口にしていた「使用すれども所有せず」というフレーズが頭に浮かび、質実剛健を最後まで貫き通した潔さに感動したことを、今思い出す。
これは単に物欲を戒めているわけではなく、なかなか含蓄のある言葉だと思う。

私の父は今振り返ると、本当に物を所有する事に対する執着の乏しい人だったと思う。若い頃はどうだったか知らないが、私の知る父は常に粗末な身なりをしており、靴はいつも靴流通センターで買った500円のビニール製のものだった。別にケチだったわけではなく、お寺などにはかなり高額の寄付を、匿名を条件で行なっていたことを後になって知ることになる。
購読していた二種類の新聞を隅から隅まで読み、興味のある部分はスクラップしておき、私が訪ねると「これ、読んどけ!」と言って渡されたものだ。様々なジャンルの最新の書物を次々に購入し貪欲に読み込み、自分の病状についての主治医からの説明の際には、手帳を用意して一生懸命にメモしていた姿が今も脳裏に焼き付いている。シャイで社交性がなく、派手なこと目立つことが大嫌いで、正義感が強く、好奇心が強く、何事もとことん納得するまで探求し、いつも直球勝負で人生を駆け抜けた人だった。自分の記憶する限り、面と向かって褒められたことは一度もないが、いつも別の機会に母が「お父さん、喜んでたよ。」と、そっと教えてくれた。

父を失ってからは、しばらくの間、胸に大きな穴が開いたような感じで、フワフワしていたのを思い出す。仕事を一生懸命頑張って、いい結果を出しても、これを報告に行く先を失ったので、張り合いがない。こんな中、父の同級生で親友の、考古学者、歴史学者でもある前澤輝政氏の存在はとても貴重である。私の知らない父の一面を教えて頂くし、また私の良き理解者でもあり、時には愛情のこもったアドバイスも頂くことがある。前澤氏のお話を伺うといつも、あの人の息子で良かったと思う。

親というのは本当にありがたい、かけがいの無いものだと思う。私の場合は大学時代、辻 邦生氏の「安土往還記」を読んでから父への理解、その生き方への共感が一気に進んだ気がするが、一般的に、子供が親のありがたさを理解するのはいつも遅い気がする。昔から「親孝行、したい時には親は無し」と言います。失ってから後悔するのではなく、若い人達には是非、親が元気なうちに共有できる時間をたくさん作り、先人の知恵を伝授してもらって欲しいと思います。

世界の人口は既に70億人を超え、毎年約1%ずつ増加する中、わずか100年前後の人生で出会える人の数は果たして何人位いるのだろうか?ただすれ違うだけの人は多くいるが、言葉を交わし親交を深めるレベルまで行く人の数はとても少ない。

平成元年10月、わたなべ整形外科を開業して以来2013年6月16日現在で、87589人の患者さんが当院を受診していますが、中には開業以来通院されている方もいらっしゃいます。1週間に一回、2週間に一回、1ヶ月に一回など来院頻度は病状によってまちまちですが、長く定期的に通っていらっしゃる方は、お互いその性格も知り抜いており、とても他人とは思えぬ親近感を感じています。

昔から「遠くの親戚より近くの他人」と言いますが、とても愛着を持って肉親に対するような接し方になっている患者さんも数多く存在します。縁あって当院を受診された方達と、このように長いお付き合いになった事には、最近何か運命的なものを感じます。また、何の因果か当院を担当することになり私と出会う羽目になった薬のメーカーさん、問屋さん、様々な出入りの業者さんなどなど、本当にビジネスを超えた、心の通う親密なお付き合いをさせていただいている方達が大勢いて、職員も含めこの人達のお蔭で我々の組織は成り立っていると、常日頃感じ、感謝しています。  

さて毎日様々な出会いがありますが、その中には、長くお付き合いしたいなと感じる方とそうでない方がいらっしゃいます。長く人生を歩んでいると、若い頃より多少は人を見る目が肥えて来たと自負しておりますが、このささやかな鑑識眼を通して同好の士を集め、交流の輪を広げ、人生を更に楽しい充実したものにして行きたいと考えています。

若い人によく 「出会いを大切にしなさい」と話します。ビッグな人と出会った時、その人の凄さが解る人は、まだ自分が成長途上にあったとしてもビッグになる素質を持っており、その人から認められ、多くの教えを受け、今後益々成長する可能性を秘めた人であると思います。これに反して、自分のポテンツが低い人は、せっかくの貴重な出会いがあっても、相手の凄さが理解できず、相手からも評価されず、無駄な出会いとなってしまうことになります。
 
せっかくの出会いを無駄にしない為には、普段から書に親しみ、常に謙虚さを失わず、学ぶ姿勢を前面に出し、誰に対してもフランクに接する習慣を身に付けることであり、その先には前途洋々たる人生が開けて来るものと確信しています。こうして自分の、人間としての魅力が増して来ると、自然と周りに人が集まって来ますが、その中から生涯にわたり付き合える友が見つかれば最高の幸せと考えています。

今から2ヶ月程前、私の従兄が東京で分譲マンションを購入しました。アークヒルズの裏手に位置し、スペイン、スウェーデン、サウジアラビア、アメリカなど、各国大使館が林立する中にそびえ立つ27階建ての立派な建物の15階の部屋でした。大きく開放された窓からの眺望も申し分なく、屋上の共有オープンデッキスペースも快適でした。また建物周辺の環境も素晴らしく、街路樹が整然と植えられ、とりわけ桜のシーズンは最高との事でした。坂を少し下るとお洒落なオープンカフェがあり、木洩れ日を浴びながらお洒落な客達が楽しそうに語らい、食事(グルメな従兄の話では、かなり美味しいとの事)をしており、まるでパリのシャンゼリゼ通りに来たような錯覚に陥りました。
 
「東京は近い将来大地震に見舞われ、壊滅的なダメージを受ける可能性が高い。」という情報からすると、そこに不動産を購入し住むなど、正気の沙汰とは思えない。この考えの下、少し冷ややかな目で、都内での新築マンション販売の好調さを眺めていた私ですが、今回の体験後多少考え方が変化して来たのを感じています。

私が永遠の命を授かっているのであればいざ知らず、五感が正常で感性が豊かなうちに、自分にとって最も快適と感じられる場所で、自分に残された貴重な時間を刻むことの意味を考えさせられました。

また住む場所を選ぶ際、建物の耐震構造、セキュリティーを含めた管理体制、眺望などはもちろん重要な要素ですが、自分にとってこれらは大体一割程度の意味しか持たず、残り9割を占めるのはそれを取り巻く周辺の環境であると考えています。

さまざまな施設(美術館、コンサートホール、ショッピングセンター、レストラン、etc)へのアクセスの良さ、気持よく散歩やジョギングのできる、治安が良くて緑の多い,瀟洒なプロムナードや、地下鉄などの交通機関が整備されているか、などなど数え上げればキリがありませんが、これらをすべてクリアできる場所があったら是非住んでみたいと考えています。

豊かさ・便利さが東京へ集中することの弊害が叫ばれて久しい中、我々から徴収された税金は首都や県庁所在地に集中的に注ぎ込まれ、多くの地方都市は衰退の一途をたどり、徐々に住みにくく、住んでいても楽しくない街になりつつあります。

天気の良い日曜の朝、朝食のとれる美味しいオープンカフェはなく、夜10時を過ぎると数少ないグルメな店はすべて閉まり、ライブの楽しめるジャズクラブもスタバもない街に私は今住んでいます。自分の納めた税金を少しでも回収する意味も含め、今よりも少しでも快適な居住環境で過ごす時間を増やすということは、考慮に値する案件かなと考え始めました。

1993年米国で、加齢を疾患として捉え、その治療法を模索する抗加齢医学の動きが始まりました。日本でも2001年から、その研究・治療に取り組む体制が整い始めました。


人間は自己管理を徹底すれば、生物学的には125歳まで生存が可能であるという、アンチエイジングの世界での常識的な考え方は、私にとってとても心地よい響きを持って受け入れられるものであり、これからもこの目標に向けて精進したいと考えています。


ただここで自分にとってとても大切なことは、ベッドで寝たきりの125歳では意味がなく、自立した生活を送り、毎日が充実し、感動的な体験を楽しみながら時を重ねられるかという点です。


さて昨今の悪しき風潮として個人的にちょっと気になっているのは、若い人のことを、その取り巻きの年長者が過度にもて囃すことです。ある特定の若い女性達に対してこの傾向が強く、本人達もその商品価値の大半が年齢にあることを熟知しており、これを極めて短期間しか使えない強力な武器としてフルに活用している節があります。確かに若いという事は素晴らしいことではありますが、周りからチヤホヤされ過ぎて、若者がこの時期真剣に取り組まねばならない、極めてストイックで地道な努力を怠っていると、その後の人生の様々な場面で大いに苦労することになります。こんな、一部の若者達の間抜けな思い上がりを諌めるどころか支持する人達の中に、少なからず大人達が混じっているというのも困った現実です。

若者は、外見も美しいし健康にも恵まれ体力もあり、時には斬新なアイディアも出しますが、まだまだ知識も経験も未熟なので、謙虚に研鑽を重ね先輩達に教えを乞い、一日も早く一人前になって社会に貢献できる存在になる事を目指して欲しいものです。

ここで余りにも当たり前のことですが確認しておきたいのは、ただイタズラに齢を重ねただけでは知恵も知識も身に付かない。若い頃からコツコツと努力し続けた者だけが、長じて周囲からリスペクトを受け、人生の豊かな最終章を迎えることができるという事です。


最近、負け惜しみでなく本気で、今の自分の年齢に大変満足し、年を重ねるのもいいものだと感じています。


様々な食材を堪能できる研ぎ澄まされた味覚や、本物を見抜く力は徐々に磨かれて来ましたし、世の中に氾濫する様々な情報を整理し理解する能力も、知識や経験の蓄積と共にアップして来たような気がします。そして若い頃から蓄積して来た感動的な体験の数々は、ふとしたキッカケでフラッシュバックされ、楽しい思い出として一瞬にしてよみがえります。

 

また外来で仕事をしていても、最近では幸か不幸か6割以上の患者さんが自分より年下なので、若造扱いされることも少なくなり、診察するのが楽になったと感じています。若い頃に比べると経済的にも多少豊かになり、欲しい物も以前よりは手に入れ易くなって来ました。(もっとも物欲は以前に比べ、かなり衰えていますが)


ただ単に若いという事を羨ましいとも思わないし、戻りたいとも思わない。私は今のペースで年を重ねることに幸せを感じています。 


  

324日(日)、中1の末っ子が成田から英国に向けて旅立ちました。8月末までは準備校、その後9月にボーディングスクール入学となります。順調に行くと今後最低でも56年は英国で過ごす事になり、わが家は一気に寂しくなってしまいました。以前から英国の教育システムには一目置いていたのですが、まさか自分の息子が英国で教育を受けることになるとは予想もしていませんでした。


日本を再生させるためには、まず教育制度をドラスティックに変える必要があると言われて久しいのですが、戦後まもなく70年近く経とうとする今になっても、GHQの命を受け作成された教育基本法は、残念ながらほとんど変わっていません。 


世界の先進国を見ると、まず間違いなく、国家として本気で教育問題に取り組み、多くの予算を割いて国家の明日を担う若者たちを育成していますが、学校教育費を対GDP比で見ると、トップのアイスランドに比べて日本はその半分以下、と断トツの最下位であり、教育に対する支出が世界的に見て如何に低いかが分かります。


こんな中、息子に英国で教育を受けさせようと決意させるにはいくつかの理由がありましたが、一番の理由はその教育システムの素晴らしさでした。

生徒たちは、学力の進達度に応じて少人数のグループに分けられ、グループごとに指導を担当する教師の部屋を訪れ、そこで授業を受けます。日本のように教師が生徒たちの待つ教室に来るのではなく、生徒が先生の教室に行くわけです。数学の試験なども、その思考過程を重視し、途中まで正しければケアレスミスで最後の答えが間違っていても、かなり高く評価されます。教育の基本はARTSPORT STUDYであり、この3つのバランスがとれた学生を育てることを目指しているようです。また漫画、ゲーム、インターネット、etcに関して、青少年の心身の健全な発育上ベストと思われるルールをはっきりと校則化し、これを毅然として実行する学校の姿勢には共感できる部分が多くありました。広大な敷地と恵まれた施設の中で寮生活を送る生徒達。教師たちも大半が家族やペットと共に同じ敷地内に居住し、熱い情熱と高いプライドを持って子供達の教育に専念しています。


こんな恵まれた環境の中、自分の息子が「話すことは学ぶこと」という英国の教育方針の下、説得力を持って論理的かつ紳士的にディベートする能力を身に付けて帰って来てくれたらなあと夢想して淋しさを紛らわせる今日この頃です。

以前、友人に足利市出身だと告げた時、「ああ、談合が最もキレイな形で温存されている街ね!」と言われ、恥ずかしい思いをしたことがあります。

私は昔から、親の影響もあってか、政治というものにあまり関心がありませんでした。しかし昨今、世界の中での日本のプレゼンスが急速に低下し、かつて「経済一流、政治は二流」と言われた評価もバブル崩壊と共に消え、その後「失われた10年」そして「失われた20年」を経て、今では「経済三流、政治も三流」などと言う声も聞かれます。

こんな中、日本の外交レベルは相変わらず五流のままという印象ですが、最近強く感じることは、やはり有能な政治家が登場し、国家を、そして各地方自治体を、明確なポリシーを持って、ポピュリズム(大衆迎合主義)に堕することなく、毅然とした態度でリードしなければ、日本の未来は相当に暗いものになるだろうという事です。

さて政治家を選ぶ際、皆さんは何を基準にして投票していますか?

同じ学校の出身者だから、親戚だから、勤務先の社長に勧められたから、利権がらみで、などの様々なしがらみだけで選んではいないと思いますが、政治家はひとたび当選してしまうと、当然のことながら大きな権力を握ります。そして我々の納めた税金の使い道についても、ある程度の権限を持つことになります。

足利市も、現市長が登場するまでの長い間、市の財政は年々悪化の一途をたどり、日光市に次いで栃木県内ワースト2位の惨憺たる状況となり、まさに夕張市ではありませんが財政破綻寸前の所まで追い込まれていました。しかし現市長となってからは、首長が変わるとここまで変わるものかと目を見張るほどの変化が起こっており、市職員および市会議員らの協力の下、財政状況は好転(1200億円あった負債が100億円減少)し、市民への行政サービスも飛躍的に改善しております。

4月には足利市の市長選挙があります。

私は医療機関という、来院される患者さんの事を考えると、常に政治的に中立の立場が求められている職業に就いており、特定の候補者を応援する立場にはありませんが、足利は我が故郷であり、多くの友人も住む町です。

この足利の将来を5年、10年、100年のスパンで捉え、活気に満ちた魅力ある街に再生させるために、斬新なアイデアと高潔で強いリーダーシップを持った市長が選ばれ、談合や随意契約が常態化し、我々の血税が無駄に使われることの無いような市政の舵取りをしてくれることを切に願いたいと思います。

皆さんはどんな時、幸せだなあと感じますか?


私の敬愛する加山雄三氏は、名曲「君といつまでも」の中で、「僕は君といる時が一番幸せなんだ!」と言っていますが、たった一度しかない人生の中で、そんなパートナーにめぐり合える人は本当に幸せな人だろうなあと思います。

先日親しくしているパテシエから、「先生は様々なイベントやパーティーを企画、主催していますが、そこに集まったゲスト達が楽しんでいる姿を見るのが好きなんじゃないですか?」と言われ、なるほどと妙に納得し、こいつ随分冷静に観察しているなあと感心してしまいました。

確かに自分には昔からそういう所があり、自分の世界に入り込み過ぎず、そのグループの中での立ち位置を常に意識し、参加している全員が満足しているかを見てしまう癖があります。そんな時、自分が楽しんでいないかというと決してそんなことは無く、HAPPY TIMEを楽しんでいます。

先日、私の61回目の誕生日を(久しぶりで風邪を引いた為、少し日にちをずらしての開催でした。)、スタッフや仲間から盛大なパーティー(餅つき&BBQ)で祝っていただきましたが、HAPPY TIMEを満喫させてもらいました。

さて当院スタッフには日系アメリカ人でハワイから来ているRAYさんがいますが、彼ら英語人たちが主催するイベントに参加して、いつも感心させられるのはその楽しみ方です。決してお金は掛けていないのですが、アイディアに満ちあふれ、とっても楽しい時間の演出がされており、いつもHAPPY TIMEを味合わせてもらっています。

今年もまた多くの幸せな時間を重ね、充実した一年にして行きたいと考えています。 

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皆さん、カルテという言葉を聞いたことありますよね。

これは元々ドイツ語で、診療録の事を指し、医療に関する診療経過等を記録したものであり、英語ではmedical recordと言います。5年間の保管義務がありますが、最終来院から丸5年、一度も診察を受けに来ないと処分されてしまいますので、お気を付け下さい。

最近はデジタル化の波が医療の世界にも押し寄せており、カルテは紙カルテから電子カルテへ、レントゲンはCR装置と言ってフィルムを現像しない、いわゆるフィルムレスの方向に向かっています。当院も他の医療機関同様、数年前からCR装置を導入し、その便利さを享受しておりますが、電子カルテは未だ導入しておりませんし、今後も当分の間は導入しない方針です。その理由は、すでに電子カルテを導入している大勢の仲間の医師達からの評判が芳しくないからです。電子カルテの入力に忙殺され、医師が最も大切にしなければいけない、患者さんとの会話の時間が減ってしまうといった、電子カルテに振り回されている現状を聞かされる度、当院ではこのソフトがもう少し改良されるまで待とうと決意を新たにしております。

さて当院で私の診察を受けたことのある患者さんは既にお気付きの事と思いますが、私は診察中に度々セロテープで、傷んだ紙カルテの修理をしております。これは以前先輩からも教えられたことですが、カルテは医療機関にとって取扱注意の大切な宝物であり、様々な場面で極めて重要な役割を演じる貴重な公文書であると考えているからです。

毎月初めのレセプト(厚生労働省への請求書)作成は、カルテを参照して行ないますし、様々な問い合わせに対する資料としたり、裁判になった時などは証拠書類ともなります。私はカルテの記載に際し、日本語、英語、独語の入り混じった不思議な言語で行なっておりますが、それは患者さんの病態を最も適切に表現できる言語を適宜選択した結果と、ご理解いただけたらと考えています。

昔から医師の間では、カルテを見ればその医師の実力が分かると言われています。私もここ一番、自分のカルテが公の場に引きずり出された時、恥ずかしい思いをしなくて済むような、品格のあるカルテを書きたいものだと、毎日の外来の、殺人的な忙しさに追いまくられながらも、常に考えております。そしていつも心掛けているのは、何か人に問われた時、出来なかった言い訳をするよりは、何とか成し遂げるに至った過程を、自分は単に運が良かっただけと言いながらサラリとお話できるようにしたいという事。

今年も、心にいつもゆとりを持ち、柔らか頭で、様々な難題に対応して行きたいと考えています。

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