フリードマンらの提唱した「市場原理主義」の浸透と共に、我が国でも貧富の差が拡大し、昨年逝去された宇沢弘文先生の心配されていた格差社会がいよいよ日本でも現実のものとなって来ました。世界でも稀な、平和で豊か、そして極めて社会主義的な平等を実現し、一億総中流と言われた日本でしたが、最近これもついに崩れ始めたなと感じております。

極端な格差社会は米国で既に進行中であり、企業トップ達の得る法外な報酬は我々の想像をはるかに超え、企業によってはCEO(最高経営責任者)と一般従業員で500倍前後の格差が存在するところもあります。これに加えて問題なのは米国では中流階級が崩壊しつつあり、ケガや病気、失業や倒産などを契機に自己破産して貧困層、そしてホームレスへと転落するというシビアな現実があります。

こんな中、今年1月下旬に来日したフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、その著書「21世紀の資本」を通じ、世界的に拡大しつつある格差社会の問題点を鋭く指摘し、警鐘を鳴らしています。たしかに彼の膨大なデータに基づく科学的な検証は傾聴に値し説得力もありますが、その主張を全面的に受け入れ実行するには少し違和感を覚えます。とりわけ富裕層へのこれまで以上の課税強化と相続税率のアップは、頑張った人とそうではなかった人にあまり差が出ないような社会構造になる危険性を有しており、猛烈に努力して成功し豊かな暮らしがしたいという若者が減り、社会の活力が削がれることにならないか心配です。

ここで少し興味深いのは、日本の大企業の役員達の報酬レベルが欧米、特に米国に比べ極端に低いということです。社会の上位1%の人達が富の大半を握ってしまう米国において格差社会が進行するのはとても理解し易いのですが、社長達の報酬があまり高くない日本においても格差が開きつつある原因はどこにあるのか、様々な分析が為されているようです。私は政府の政策誘導により非正規労働者が急増している事、大企業が内部留保を莫大に抱え込み(資本金10億円以上の大企業の内部留保はついに285兆円を超えました)、一般社員の待遇改善や下請け企業からの納入価を引き上げるなどの、利益の正当な分配が成されていないことが大きな原因となっているような気がします。

こうした状況の中、以前訪問したインドネシアのバリ島とフィリピンのセブ島の島民たちの暮らしぶりが突然思い出されました。同じように貧しい環境の中で生活している人達ですが、市中に笑顔あふれるバリと、スラム街や暗い表情の人が目立つセブ。この違いはどこから来るのか、とても興味をそそられます。そして、バリでも大変な格差社会が厳然と存在するにも拘わらずピケティが指摘するような問題はあまり目立たず、人々がそれぞれの身分、職域の中で精神的にとても豊かな暮らしを営んでいる様には頭が下がり、多くの事を教えられた気がします。